Victor Giglioが秘書である証拠全部出す

G&G

こんにちは。

タイタニック号が沈没するさなか、雇用主と共に正装して女性と子供がボートに乗るのを手伝い、自身はこの事故で亡くなってしまった青年、ヴィクター・ジリオ。彼は従者だと伝えられているけど、本当は秘書なんです!

……と言ったところでなんのこっちゃ? な方はこちらの漫画↓を先にどうぞ。

当記事の主旨は、「私が知る限りのジリオ氏が秘書である証拠を全て出す」というものです。

漫画では「そういう証拠がたくさんある」程度で流してしまったそのソースを確かめてみたい方、ジリオ氏にご興味持った方はぜひ!

関係者の証言や新聞について、それがどれくらい信ぴょう性があるものなのかとか、なぜ証言を信じてもらえなかったかなどの推測、その他小ネタなども併記していきます。ので、とにかく滅茶苦茶に長いです。ごめんなさい。でも全部説明したいんだよ。オタクだからさ。

それじゃ、いくぞ!!!!!

ヴィクター・ジリオ氏が秘書である証拠、全部出す!!!!!!

※私のことを信用してくださっていて、かつスクロールバーに慄いた方は「まとめ」まで飛んでもいいと思います。

※リンク先は一部有料/登録必須のサイトですが、リンクを踏んだらいきなり課金状態になるなんてことはないのでご安心ください(各サイトの利用規約などは各自ご確認のうえ、ご使用になってくださいね)。

証拠1―関係者の証言

ジリオ氏の直接の知り合いによる証言です。ガチ身内やタイタニックでの同行者までそろって秘書だと伝えてるので、正直この証拠1だけでもう秘書だと断言していいのでは……という気も……。

重要度★★★★★

拙作の漫画にも登場した、ジリオ氏の兄(ジリオ家三男)です。

彼はタイタニックノンフィクション作品の金字塔、「忘れえぬ夜」の著者ウォルター・ロード氏に宛てた手紙の中で、再三、弟が秘書であり、従者だとは他のどの新聞でも報道されていなかったことを伝えています。

あなたがグッゲンハイム氏の名前を出したのは、間接的に私に関係する問題である。なぜなら、彼と最後まで一緒にいた仲間は、私の弟のビクター・ジリオであり、彼はあなたが言うように彼の従者ではなく、私設秘書兼個人的な友人であったからである。

保管:National Maritime Museum, Greenwich, London
資料の名前、番号: Letters from Mr Giglio to Walter Lord-LMQ/2/4/94
参照した日:2022-4-20
URL:https://www.rmg.co.uk/collections/archive/rmgc-object-484690

この手紙が偽物である可能性も一応考えたのですが本物と言っていいと思います。というのもこの手紙には、ジリオ氏が学生時代、学校の水泳大会で一位を獲ったことが書いてあるのですが、その情報は彼のごく親しい身内または母校の機関紙を読んでいる人でないと知りえない情報だからです。また、慰謝料などを請求しているわけではないことからも、エドガーの名を騙った別人であるとは考えにくいです。

全文は紹介できないのですが、誇張抜きで怒りに満ち溢れた手紙です。気になる方は博物館に請求してみてください(2022年に請求した当時はトータルで4000円くらいかかりました)。

この手紙はまず存在が知られてないこと、また存在するのを知ったとて、コピーを請求したりお金を払うと言う部分でハードルが高いため、全然精査されてないんだろうなと思います。

重要度★★★★★

グッゲンハイム氏とジリオ氏の同行者です。彼女はグッゲンハイム氏の愛人、マダム・オウバルト(芸名ニネット)氏のメイドとしてタイタニックに乗船しました。断言はできないのですが、彼女はオウバルト氏ではなくグッゲンハイム氏に雇われていたと思われます。彼女は1937年、スイスのラジオ番組でタイタニック沈没事故のことを語りました。

(2:07頃~)

インタビュアー:もう一つ。何人で旅をされていたのでしょう。

エマ:5人です。

インタビュアー:つまり?

エマ:マダムと、雇い主、秘書と運転手、それと私です。

(中略)

(4:45頃~)

エマ:突然、客室係がきて、ドアをノックしました。そして、現金を持って行くようにと。あと、宝飾類。
客室係は、何か起こったので私たちに急ぐように言いました。
それで私たちは急いで掛けてあった服にすぐに着替えて、殿方たちのところに行きました。別の部屋だったので。
彼らは、危険だと信じませんでした。秘書は、私に笑って言いました。
「え、氷山だって? 氷山って一体なんだよ」と。

サイト:YouTube
動画タイトル:Oldest Titanic Interview preserved from 1937 | Emma Arnold Saegesser (2020)
参照した日:2022-5-13
URL:https://www.youtube.com/watch?v=AdLT3zbk31E&t=306s

翻訳はbo ckさんにご依頼して、直訳に近い翻訳をしてもらっています。この証言は、タイタニック事故生存者による最も古い音源だと言われています。

ゼーゲッサー氏がジリオ氏について秘書とハッキリと言及するのはこの2回です。ジリオ氏の名前は出されていませんが、彼女は同様に運転手であるペルノ氏の名前も出していません。オウバルト氏の名前も、「ニネット」という芸名だけを出しています。

音源を聞いてニュアンスを確かめてみて欲しいんですが、ジリオ氏を再現した口調がなんか「男子」っぽいなと感じました。ノリが軽いぞこの青年。

ちなみに翻訳者のbo ckさん曰く、TITANICAの彼女のページに掲載されている「グッゲンハイム氏がドイツ語で彼女に語り掛けた」エピソードはここで話されていないようです。ゼーゲッサー氏はスイスドイツ語話者なので、英語圏の研究者が翻訳したり情報収集したりしていく過程で、余計な情報がくっついたのかなと予想します。実際ベン・グッゲンハイム氏の父親はスイスのレングナウ出身ですし、一家全員がある程度ドイツ語も話せたとは思うんですが、とにかくゼーゲッサー氏はこの場でそうしたことは言ってないと。とはいえ彼女が他の場でこのエピソードを語ってる可能性もあるので、「ドイツ語で語り掛けたのは、絶対間違いの情報だ!」とは言い切れないのですけれどね。

そしてそういった言語の壁があるがゆえ、彼女の証言もあまり精査されていないのかなと思います。そもそも古いラジオ音源ですし、聞いたことがある人自体、最近までほとんどいなかったと思います。

重要度★★★

ベンジャミン・グッゲンハイム氏の娘です。彼女は後に世界的に有名なアートコレクターとなりました。現代美術史において大きな役割を担った彼女は後年自伝を執筆し、その中で父とジリオ氏について触れています。

父と一緒に亡くなったのは、父の秘書をしていた若く可愛らしいエジプト人、ヴィクター・ジリオだった。彼は過去につらい目に遭った経験があり、父に従事したことで悩みが解消されたと喜んでいた。私はこの美しい青年に惹かれたが、父は私の情熱を認めてくれなかった。

著者:Peggy Guggenheim
タイトル:Confessions of an Art Addict
位置:No.296
出版社:Ecco
出版年:2013
書籍形式:電子書籍(キンドル)

日本語訳の書籍もあるのですが、少し意訳してあったので、そちらより原文に近い翻訳をしました。

彼女は1910年、父親や他家族とも一緒に、ジリオ氏とモリタニア号に乗船した記録もあります。彼女はジリオ氏に少し惹かれていたとのことですから(少なくともお気に入りの青年だったのでしょう)、そういう相手の職業を勘違いしている可能性は低い気もします。

ちなみにグッゲンハイム父が彼女の情熱を認めなかったのは、彼女がハチャメチャおませな女の子だったからだと思われます……。ジリオ氏と会った当時、彼女は13歳前後なのですが、それ以前(つまり小学生くらいのとき)も父の友達に熱を上げて強烈なラブレターを送ったりしています。なので「パパは許さんぞ!」とかではなく、「この子はま~た何言ってんだ、お願いだから面倒ごと起こさないでくれよ」という感じの「認めてくれなかった」だったのではないかなと想像します。ハイハイ、わかったわかった……みたいな。その強烈なラブレターも自伝内で読めますが、少女が書いたとは思えないすごい文章ですのでぜひ……。

彼女はジリオ氏を秘書と伝えたのに、後のノンフィクション作家たちにそれが信じられていないのは、タイタニックの乗員乗客数を「2800人」と間違えて記述していたことが理由の一つかなと思います(実際は約2200人)。それで「彼女が秘書と書いたのも、記憶違いだろう」と判断された可能性は結構高いと踏んでいます。

重要度★★★

グッゲンハイム氏とジリオ氏の部屋を担当した、タイタニックの客室担当スチュワード(乗員)です。

過去描いた漫画は、NYタイムズに掲載された彼のこの証言が基になっています。

「グッゲンハイム様は私の担当者の一人でした」とスチュワードはあらためて言った。

「彼は秘書を連れていました。名前はジリオ、私が思うに多分アルメニア人で、年齢は24歳くらいだったと思う。二人とも男らしく亡くなりました」

サイト:Encyclopedia Titanica
新聞誌名:New York Times
新聞記事見出し:GUGGENHEIM, DYING, SENT WIFE MESSAGE
発行年:1912年4月20日
Encyclopedia Titanicaでの記事公開日:2004年9月
参照した日:2024/8-28
URL:https://www.encyclopedia-titanica.org/guggenheim-dying-sent-wife-message.html

実際のジリオ氏は23歳でしたが、あと2か月で24歳だったので、そういう話もしていたのかもしれません。国籍は間違えられていますが、ジリオ氏は英語以外にフランス語が堪能ですし、言葉の訛りやルックスでは国籍がわからなかったのではないかと思います。当時は(今も?)出身の寄宿学校ごとの訛りもあるらしいですしね。

↓はアメリカで行われた事故後の調査会にて、エッチェス氏と議長の会話。

エッチェス:グッゲンハイム氏は彼の秘書と一緒に84番(訳注:部屋の番号)を使用していました。

(中略)

スミス議長:グッゲンハイム氏と彼の秘書、そして他の人たちはどんな様子でしたか?

エッチェス:彼らは自分の部屋にいました。私は救命胴衣を取り出しました。この船室の救命胴衣は洋服ダンスの中の小さなラックに入っていて、船室には2人しかいませんでした。そこに救命胴衣が3つあったので、3つ取り出してグッゲンハイムさんに1つ付けました。彼は自分の部屋に行っただけだったようで、最初のノックに応えました。彼は「痛いよ」と言いました。私は「時間はたっぷりある、服を着てください、数分で戻ってきます」と言いました。

サイト:TITANIC INQUIRY PROJECT
ページタイトル:United States Senate Inquiry Day 9 – Testimony of Henry S. Etches
参照した日:2024年8月28日
URL:https://www.titanicinquiry.org/USInq/AmInq09Etches01.php

エッチェス氏が言及したからでもありますが、議長もジリオ氏のことを同じく「秘書」と言っており、それが記録として残っているという点も重要です。

「痛いよ」はちょっと唐突な感じですが、前述のNYタイムズの記事に、「救命胴衣を着せたら、グッゲンハイム氏は背中が痛いと言っていた」とあるので、エッチェス氏が言っているのはそのことだと思われます。

彼の証言が信じられていない理由は……ちょっとよくわかんないですね。彼の証言にも多少矛盾するところはありますから、全部をそのまま信じられないと言うのはわかります。でも彼の言ったグッゲンハイム氏の紳士として~のエピソードを取り上げるとき、ジリオ氏が秘書だと言う部分だけを書き換える行為はかなり意味不明です。

重要度★★★☆☆

フランス人の一等船客です。彼は船内でグッゲンハイム氏と、おそらくはジリオ氏とも親交があり、特にグッゲンハイム氏についてはかなり細かい証言を遺しています。

グッゲンハイム氏も彼の秘書も、最初は心配していなかった。グッゲンハイム氏が秘書に、着替えにあまり時間をかけない方がいいと言うと、秘書は冗談めかして、「もし僕が沈むなら、きれいな格好をしていたい」と言った。

サイト:The Library of Congress
新聞誌名:The Sun
新聞記事見出し:SAVED, MONOCLE AND ALL
発行年:1912年4月20日
ページ:6
参照した日:2024-8-28日
URL:https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn83030272/1912-04-20/ed-1/seq-6/#date1=1912&sort=date&rows=20&words=Benjamin+Guggenheim&searchType=basic&sequence=0&index=19&state=&date2=1913&proxtext=benjamin+guggenheim&y=0&x=0&dateFilterType=yearRange&page=12

この気さくな会話から、グッゲンハイム氏とジリオ氏は仲が良かったんじゃないかなと私は推察しています。

マレシャル氏は様々な媒体でこの沈没事故について伝えています。しかし彼の証言は嘘か本当か、もしかしたら自分でもわからなくなっているのでは……と思えるくらい、二転三転しています。ただ、グッゲンハイム氏に関係する部分だけは毎回同じことを言っているのです。違いは詳細になっているかいないかくらい。とはいえ彼が秘書に言及しているのはこのときのこの新聞だけなのですが。

また、エドガー・ジリオ氏がウォルター・ロード氏に宛てた手紙によると、どうやらジリオ家の親族の誰かが、マレシャル氏に直接会って話を聞いているようです。それによると、マレシャル氏は「ジリオ氏にもボートに乗ろうと呼びかけたが、彼はグッゲンハイム氏のそばを離れるのを拒否した」のだそうです。これについてはまた諸事情あって話半分で聞くのがよさそうですが、少なくともマレシャル氏は彼を秘書だと認識していたようです。

この記事が精査されてないのは、単に「全然有名な記事じゃないから」だと思います。実際この記事だけじゃ、着替え云々のくだりが結構意味不明なので「良い記事」とは言い難い。NYタイムズに掲載されたエッチェス氏の証言、もしくは後述するワシントンタイムズの記事と合わせないと状況がわかりにくいんです。だからこそ真実味があると私は思うんですが。しかもこれOCR機能にひっかかりませんでした。なんで? 私はね、根性でこの記事を見つけました。

あと、マレシャル氏を詳しく研究してる方が殆どいないっぽいです……。彼は事故後すぐに長い手記を新聞社に提供し、さらに後年も滅茶苦茶に長い手記を雑誌に寄稿しているのですが、どうも彼の母国フランスでもそうした証言にはあまり触れられていないようで……。彼が記した記録の中には若干の嘘が含まれていたり、悪意なき記憶の改ざんが起こっているのは確かでしょうが、それにしたって精査されてなさすぎだと感じます。彼は沈没の日の朝、マードック航海士としゃべったとか、そういう興味深い話もしてるんですけどね。マレシャル氏は海軍関係者なので、マードック氏と繋がり合ってもそんなにおかしくないと思うんですが。みんな彼にももっと興味を持ってほしいです。

証拠2―当時の新聞

新聞は結局のところ生存者からの「また聞き」です。しかも彼らについての報道のほとんどは、4/20発行のNYタイムズの後追いでしょう。ですので信ぴょう性については上記に挙げた直接の知り合いたちの証言には若干劣るのですが、少なくとも彼が当時「秘書」として多くの新聞に記録されていたことは重視すべきかなと思います。

日付順に記事を紹介していきます。上記の関係者による証言と重複アリです。

「グッゲンハイム様は私の担当者の一人でした」とスチュワードはあらためて言った。

「彼は秘書を連れていました。名前はジリオ、私が思うに多分アルメニア人で、年齢は24歳くらいだったと思う。二人とも男らしく亡くなりました」

サイト:Encyclopedia Titanica (2004)
新聞誌名:New York Times
新聞記事見出し:GUGGENHEIM, DYING, SENT WIFE MESSAGE
発行年:1912年4月20日
Encyclopedia Titanicaでの記事公開日:2004年9月
参照した日:2024/8-28
URL:https://www.encyclopedia-titanica.org/guggenheim-dying-sent-wife-message.html

グッゲンハイム氏も彼の秘書も、最初は心配していなかった。グッゲンハイム氏が秘書に、着替えにあまり時間をかけない方がいいと言うと、秘書は冗談めかして、「もし僕が沈むなら、きれいな格好をしていたい」と言った。

サイト:Chronicling America: Historic American Newspapers. Lib. of Congress.
新聞誌名:The Sun
新聞記事見出し:SAVED, MONOCLE AND ALL
発行年:1912年4月20日
ページ:6
参照した日:2024-8-28日
URL:https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn83030272/1912-04-20/ed-1/seq-6/#date1=1912&sort=date&rows=20&words=Benjamin+Guggenheim&searchType=basic&sequence=0&index=19&state=&date2=1913&proxtext=benjamin+guggenheim&y=0&x=0&dateFilterType=yearRange&page=12

上記2つの記事は先ほども紹介しましたので、秘書に言及している大事な部分だけを再度引用しました。

製錬所の大富豪ベンジャミン・グッゲンハイムが、不運なタイタニック号から妻に送った言葉。「これは男のゲームだ、私は最後までプレイする」。このメッセージを受け取った客室係のジョン・ジョンソンは、打ちひしがれた未亡人にメッセージを届けた。ジョンソンによると、グッゲンハイムは初めから逃げられる可能性がないことを悟っていた。泳ぎが得意なジョンソンと秘書を呼び寄せ、もし助かったらグッゲンハイム夫人に伝言を伝えるように頼んだ。

「彼女に告げてくれ、ジョンソン」スチュワードは続けた。「私が最後までゲームをしたこと、そしてベン・グッゲンハイムが臆病者なために、この船に女性が残ることはあってはならないこと。私の最後の思いは、彼女と娘たちのためにあったと言ってくれ」。

サイト:Encyclopedia Titanica 
新聞誌名:Washington Times
新聞記事見出し:Tell Them No Woman Died Because I Was Coward
発行年:1912年4月20日
Encyclopedia Titanicaでの記事公開日:2004年10月29日
参照した日:2024年8月28日
URL:https://www.encyclopedia-titanica.org/tell-them-no-woman-died-because-i-was-coward-guggenheim.html

この記事はジョン・ジョンソンという客室係が存在しないためにそもそもの信ぴょう性が薄いのですが、上述したようにジリオ氏にごくごく近しい人しか知らないはずの「泳ぎが得意」ということにも触れられているので、完全な捏造記事とも言えず判断が難しいです。これについてはいずれ別記事書く予定です。

……某宗教の問題を詳しく追っている方は誌名に驚いたかもしれませんが、今のあのワシントンタイムズとは別物です、念のため……。

しかし、この大富豪一家の商業的罪が何であれ、ベンジャミン・グッゲンハイム氏がタイタニック号の船上で死を迎えたことを、アメリカは今日、非常に誇りに思うに足る理由があるのだ。

この巨万の富を持つ男は、他人を救うために自分が助かる可能性をあえて捨てたと言われている。彼と彼の秘書である無名の英雄は、スチュワードが見つけてくれた救命胴衣を脇に置き、夜会服のまま、収容人数があまりに不十分なボートに女性たちを乗せるのを手伝ったのである。

「私たちは紳士らしく沈んでいくのです」と彼は言った。この素晴らしい勇気と自己犠牲の行為は、この巨大な汽船の喪失が悲劇であると同時に、勝ち得た多くの感動的な出来事の一つであるが、それ自体に意味があるのだ。

グッゲンハイム氏は、近代資本主義の象徴である億万長者も、一人の人間であることを同胞に示したのである。

サイト:The Britis NEWSPAPER Archive
新聞誌名:The Lyttelton Times
新聞記事見出し:MILLIONAIRE AND MAN
発行年:1912年4月23日
ページ:6
参照した日:2022年9月14日
URL:https://www.britishnewspaperarchive.co.uk/viewer/bl/0003346/19120423/088/0006

長いので省略しましたが、この記事の前半では同時期に大問題となっていたアラスカシンジケートにも触れています。ベン・グッゲンハイム氏自身はこの件にどれほど関わっているかは定かではありませんが、グッゲンハイム家が大きく関わっている、人死にまで出ている大事件です(そこからの「しかし~」の流れですね)。この記事ではジリオ氏の名前こそ出していませんが、彼を「無名の英雄」とまで褒めてくれていますね……。

今回のタイタニック号の事故でも、アメリカ人は自国の人々と同様に勇敢で、冷静で、穏やかだった。

それにまた、私が読んだこの悲しい物語のヒロイズムの例の中で、大富豪ベンジャミン・グッゲンハイムの事例ほど私の心に強く訴えかけてくるものはなかった。

グッゲンハイム氏はアメリカ人だが、名前からしてユダヤ系ドイツ人の家系だろう。しかし、誰がこのような人物に英国人たれとアドバイスできるだろう。

グッゲンハイム氏と彼の秘書は、ボートが準備されている間、甲板で手を貸していた。スチュワードの一人が来て、彼らを暖めるためにセーターやコートを持ってきた。その後、二人がイブニングドレスを着ているのを見て、それはどういう意味かと尋ねると、次のような答えが返ってきた。「私たちは、紳士らしく沈むために、持っている中で最高のものを着てきました」。

私たちがブリティッシュ精神と呼ぶものを、これほど完全に理解している英国人がいるだろうか。

サイト:The Britis NEWSPAPER Archive
新聞誌名:CLARION
新聞記事見出し:The Loss of the Titanic.
発行年:1912年4月26日
ページ:6
参照した日:2022年9月14日
URL:https://www.britishnewspaperarchive.co.uk/viewer/bl/0002732/19120426/003/0001

「英国人たれ」とは、沈没に際しスミス船長が言ったとされる言葉です。記事の冒頭部分は省きましたが、この記事の中で記者はそのような呼びかけはグッゲンハイム氏ほか様々な国籍、ルーツの人が乗っていたことから不適切であり、また同時に船長が発したとされる「男らしくあれ」という呼びかけも、船内には女性が多くいたのだから同様に不適切だというようなことを言っています。

グッゲンハイムはチャンスを得て、セーターとズボンのまま船室に降り、秘書とともにそれぞれ夜会服に身を包んで再び甲板に現れた。

質問してきたスチュワードには、「紳士らしく沈む準備をしてきたのです」と、微笑みながら説明した。

サイト:The NewYork Times
新聞誌名:NewYork Times
新聞記事見出し:HEROISM AND SURRERING AS THE GIANT LINER SINKS
発行年:1912年4月28
ページ:21
参照した日:2024年9月1日
URL:https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1912/04/28/issue.html

ニューヨークタイムズ、二度目の登場。記事の前半部分では、ジョン・アスター氏をはじめとする、犠牲となった大富豪男性たちの振る舞いが讃えられています。

グッゲンハイム家の代表者2名が、ベンジャミン・グッゲンハイムの遺体を探すために到着した。彼らは、グッゲンハイム氏が社長を務めていたインターナショナル・スチーム・ポンプ・カンパニーの役員であるマーク・コンデル氏とB・L・ノウルズ氏。

彼らは、ミニア号の到着を待つ。彼らはまた、グッゲンハイム氏の秘書であるヴィクター・ジリオ氏と運転手のルネ・ペルノ氏の遺体が確認されれば、それも引き取るつもりでいる。

サイト:Chronicling America: Historic American Newspapers. Lib. of Congress.
新聞誌名:The Olneyville times.
新聞記事見出し:TITANIC DEAD AT FINAL REST
発行年:1912年5月10日
ページ:2
参照した日:2024年9月1日
URL:https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn92064044/1912-05-10/ed-1/seq-2/

ミニア号はタイタニック事故犠牲者の遺体を回収に行った船の名前です。事故現場に派遣された4隻の船の内、ミニア号は2番目の船でした。しかしミニア号は悪天候のためほとんど遺体を回収することが出来ず、無事陸地へ送り届けられたのはわずか15体でした。名前が挙げられている3人は、いずれも遺体が回収されていません。

グッゲンハイム氏とその秘書は正装している。「ネプチューンを呼ぶなら、紳士的な格好で行こう」と二人は笑って言う。

サイト:Chronicling America: Historic American Newspapers. Lib. of Congress.
新聞誌名:The Logan Republican.
新聞記事見出し:The Titanic
発行年:1912年5月21日
ページ:3
参照した日:2024年9月1日
URL:https://chroniclingamerica.loc.gov/lccn/sn85058246/1912-05-21/ed-1/seq-3/

だいぶ言葉が脚色されてますね。他乗客についても色々と言及がある中での一文です。このころになると犠牲者たちの英雄化が進んでいる、ともとれるかもしれません。


新聞記事は以上ですが、実際に彼を秘書と書いて発行された新聞はもっと多いはずです。というのも、中には新聞タイトルが違うものの、まったく同じ文面の記事もあり、私はそれら被った記事を全てはカウントしていないのです(それらを全て再確認するには、そこそこ値の張る新聞サブスクに登録しなければならないので足踏み中……)。記事を流用しているのは子会社の新聞社(?)だからなのか、それとも当時は記事を丸パクリしても見つかりにくいからとやりたい放題だったからなのか、このあたりの詳しいことはよくわからないです……。

ちなみに私は英米仏のグッゲンハイム氏、ジリオ氏に言及した新聞記事を集めていますが、ジリオ氏には触れずグッゲンハイム氏のみに言及した記事も多いです。私が収集した1912年4/16~12/12の記事の中で、60ほどの記事がグッゲンハイム氏に言及し、そのうち上記でご紹介した8記事がジリオにも言及している形です。

犠牲者/行方不明者リストとして単に彼らの名前を載せただけの新聞記事は収集しておりません。また、検索の際はOCR機能を使っているため、検索結果に漏れてしまった未調査の記事がある可能性は十分あります。さらに言えば新聞アーカイブを運営する会社がまだスキャンしていない新聞は、未だ世界中に様々にあると思われます。そのためジリオ氏を従者と伝える事故直後の新聞記事ももしかしたら存在するかもしれませんが、現時点で私はそうした記事を一切確認しておりません。別に上記の記事は、ジリオ氏を秘書と書いたものだけをピックアップして載せているわけではないです。私が見つけたジリオ氏に言及している当時の記事は全部「秘書」と書いてあるのです。

そしてタイタニック関連のノンフィクション書籍の多くは、一番大手の、かつ一番詳しく早く報道したNYタイムズ、もしくはワシントンタイムズの記事を参考にしてグッゲンハイム氏とジリオ氏の様子を描写していると思われます。でなきゃ知りえない情報ですからね。ですから一次資料に当たる際、作家たちのほとんどはジリオ氏を秘書と報道したこの新聞記事を見ているはずなのです。私がしょっちゅう「ジリオ氏は従者だとわざわざ書き換えられている」と言っているのはそのためです。

証拠3―乗船記録

当時船で移動した人たちの渡航記録は色々な港で残されています。一部の港ではリストを紛失したのか焼失したのか、それとも現地で保管しているのかはわかりませんが公開されていないので、私が収集できたリストの一部を抜粋してご紹介します。いずれも彼はグッゲンハイム氏と共に乗船しています。

【ファーストクラス】
名前:ヴィクター・ジリオ
年齢:29歳
職業:秘書
緊急連絡先:リチャード・ジリオ(兄、アレクサンドリア、エジプト在住)
目的地:150west 57street NY

サイト:FamilySearch
記録の名前:New York Passenger Arrival Lists (Ellis Island), 1892-1924
出来事の日付:1910
ページ:4
シリーズ番号:T715
参照した日:2024年9月1日
URL:https://www.familysearch.org/ark:/61903/1:1:JJD5-GML

記録では29歳となっていますが、恐らく単なるミスです。緊急連絡先に兄リチャードの名と居場所が書いてあること、また目的地とされている場所を後にもう一人の兄であるエドガーが訪れていることから、彼で間違いないでしょう。ちなみにここで書かれている住所150west 57streetは、今ロシアンティールームと言うオシャレな飲食店になっていますので、いつか行ってみたいと思ってます。

この船にはグッゲンハイム氏とその家族(娘のペギーなど)も一緒に乗っており、チケットナンバーが連番であることから、この時点でジリオ氏がグッゲンハイム氏の秘書として働いていたであろうことが推察されます。

なおこのリストではグッゲンハイム氏の年齢も間違って記録されていますが、下船直後に新聞インタビューにも答えていますので、こちらも間違いなく彼です。

【クラス不明】
名前:ヴィクター・ジリオ
年齢:23歳
職業:グッゲンハイムの秘書
緊急連絡先:D.F.ジリオ(母、パリ在住)
目的地:Mr.グッゲンハイムと一緒に115 broadway NYCへ

サイト:FamilySearch
記録の名前:New York Passenger Arrival Lists (Ellis Island), 1892-1924
出来事の日付:1911年
ページ:38
シリーズ番号:T715
参照した日:2024年9月1日
URL:https://www.familysearch.org/ark:/61903/1:1:JJGZ-9WT

やたら「グッゲンハイムの」という注釈が入っています。1910年の記録で、状況的に彼はすでにグッゲンハイムの秘書だろうということが推測できますが、こちらはハッキリと明記されているので、彼はこの時点で疑いようもなく「グッゲンハイム氏の秘書」ですね。ですがこちらはグッゲンハイム氏の方も、クラスを示す情報を見つけることができませんでした。ので、この時ジリオ氏は一等室を使っていない可能性もゼロではありません(個人的には2人とも一等室を使用しただろうと思ってますが)。

目的地である115 broadway NYCはグッゲンハイム氏が経営する会社、インターナショナルスチームポンプのNY支部です。このときは渡航の2日ほど前、「グッゲンハイム氏の子会社が女性労働者を搾取している」という疑惑が報道されたため、急遽帰国したものと思われます。この疑惑に関しては謎が多いうえ、濡れ衣の可能性も高く未解決なままなのですが、いずれは記事にしたいです。


他にもグッゲンハイム氏と一緒にルシタニアを一等で渡航した記録もあるのですが、そちらには彼らの名前が記入されているのみで、職業、住所ほか連絡先、目的地などの記載は特にありませんでした。どうも一等客はわりとこういうことがあるらしいです。また彼らはNYとパリを行ったり来たりしているので、ほか数隻の船に乗っているのは確実なのですが、どうもフランスの方はあまり渡航記録を公開していないようで詳細がわかりませんでした。

タイタニック号での記録も色々と残っていますが、そこにおいてもジリオ氏、グッゲンハイム氏ともに職業の記載はありません(他の多くの乗客も)。せめてここが記録されてたら話は早かったんですけどね。ちなみにタイタニックの乗船記録によると、2人は同じ住所から出発していますので、2人が同居してた可能性はけっこう高めです。

まとめ

私が持っている資料の中で、彼を秘書と明記したものはこのくらいです。

意外に少ないと感じたでしょうか? それとも意外に多いと感じたでしょうか?

そして「当時、彼を従者と記した証拠があったかどうか」という点で言うと……。

書籍にはあった……かもしれません。

なんでこんな曖昧な言い方をするかというと、1件、彼を「gentleman’s gentleman(紳士についた紳士)」と書いた、おそらくだいぶ昔の書籍と思われるものを見た記憶があるのですが、資料にはまとめていなかったからです。過去の私ちゃんとしてくれ。なので記憶を頼りに書くので間違ってる可能性も大なのですが、新聞ではなかった気がしますね……(新聞であれば見つけ次第資料にまとめているので)。ノンフィクション本だったのかもしれない。「忘れえぬ夜」が書かれるより前だったと思うのですが……それで印象に残ってるのだと思いますし。こう書いてて本当に曖昧過ぎる記憶でビックリしてます。探しても出てこなかったのですが、もし発見したら追記しておきます。最後の最後にこんなんで申し訳ない。ちなみにgentleman’s gentlemanという呼び方は従者の別名で、指すものは同じなのですが、より敬意が込められた言い方だと思います。

あとは彼をfamous singer(有名歌手)と報道した新聞も存在したことを、一応書いておきますね。

予測ですが、グッゲンハイム氏の愛人であるキャバレー歌手のオウバルト氏と取り違えられてこんな間違いが起こったのではないかと思います。ジリオ氏が歌手活動と秘書を兼任してた可能性、ゼロではないですが、まあ……その線はだいぶ薄いだろうな。

しかしそのような彼から遠い、第三者によって書かれた記録がある一方で、私は事故当時、または事故の前後の記録で、近しい誰かが彼を「従者」と伝えたり、明確にそう記したものは全く見ておりません。

前述した通り、記録を調べる際はOCR機能を使っていることもあり取りこぼしの可能性はありますから、今後彼を従者と記した記録が出てくる可能性はあります。しかし現時点でこれだけ「秘書」である証拠が出てきているので、これらを全て覆す記録となると相当難しいと思います。ジリオ氏の身内だけが秘書だと言っているわけでなく、同行者も雇用主の娘も秘書だと明言してるわけですしね。誤解の発端となったであろう「忘れえぬ夜」の著者ウォルター・ロード氏自身、間違いを認めて出版社に重版の際に訂正するよう打診した手紙も残っていますから。

従者(valet)は素晴らしい職業です。gentleman’s gentlemanの別名からもわかる通り、見た目や振る舞いは本物の紳士と同様、またはそれ以上のものが求められましたし、実際彼らはそのようにして貴族や富豪たちに仕えました。しかし彼らは雇用主と同じ場所で同じ食事をとることはできなかったのです。どれほど雇用主と距離が近くても、信頼関係で結ばれていても、「同じ身分」としては扱われませんでした。それはタイタニックにおいても同様で、一等食堂とは全く別のところに、従者とメイド専用の食堂がありました。部屋のつくりも一等食堂に比べたらずっとずっと簡素で、海が見えるような窓はありません。当時はそんな、目に見える厳格な身分制度が存在していました。

私はそうした過去の身分制度を肯定したいわけではありません。むしろ階級差別とかほんっとしょうもないと思ってるタイプの人間です。お金持ってるかどうか、貴族の血統かどうかで人の価値が決まるわけないし、バカにされていいわけがない。だから「ジリオを従者などと言う『格下』の存在にするな」と言いたいわけではけっしてないのです。

でも、ジリオ氏が従者だと言うのは純粋に間違いです。しかも「一目で『白人』ではないとわかるミックスの青年が、当時は正しく職業を報道されていたのに、後年まったく根拠もなく、博物館などの公的な場でもより下とされる身分と間違えられ続けていて、訂正もされない」という状況には、単に誤解が続いているという以上の別の文脈が発生します。

また、こうした誤解はその後の調査にも確実に影響が出ます。たとえば海底から彼と同じイニシャルの入った豪華なアクセサリーが出てきた場合、誰のものだと判断されると思いますか? 彼を従者だと認識している人は、「従者がこんな高価なアイテムを持っているわけがない」と、持ち主の候補から外してしまうかもしれません。そしてこの間違いは、実際に起こっている可能性が非常に高いと私は踏んでいます。1994年に海底から回収されたバッグから出てきた、V.Gとイニシャルの入ったアクセサリーが、全くの別人、V.Cのイニシャルを持つ女性のものとして扱われているんですよ。私はこの件が不自然に感じられてしょうがないです。夫のバッグに自分のアクセサリーを、たったひとつだけ入れるなんてことありえますか? とか御託を並べる以前に、明らかにCじゃなくてGって書いてあるんですが、回収/展示を行っている企業側の人々は、それを意図的に無視しているのではないかと私は疑っています。ロード氏の間違いは単なるケアレスミスの可能性も高いですが、正直このアクセサリーの件に関しては、意図が透けて見える分、ちょっとあんまりなんじゃないかと思います。もう少し深堀し、いずれ漫画に描く予定です。

ロード氏が「忘れえぬ夜」を執筆していたころは、当時の新聞を探すのだって容易ではなかったでしょう。ですが今はあの頃と違って、いくらでも資料がありますし、調べるすべがあります。それなのに、一次資料に目を通せばわかるはずの間違いがなぜ現代になってなお精査されず、これほど長く誤解され続けられてきたのかといえば、やはり漫画でも描いた通り、「その方がしっくりくるから」ではないでしょうか。

ロード氏は、出版社に宛てた手紙の中でこう言っています。

今となっては、自分が間違っていたことに疑いの余地はありません(後略)

保管:National Maritime Museum, Greenwich, London
資料の名前、番号: Letters from Mr Giglio to Walter Lord-LMQ/2/4/94
参照した日:2022-4-20
URL:https://www.rmg.co.uk/collections/archive/rmgc-object-484690

1958年、すでに遺族によって明らかになっていたこの間違いを、せめて各博物館はしっかりと調査しなおし、正すべきであると私は思います。

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